お世話になった方の訃報に接して

2024年6月10日、原子力資料情報室の共同代表、伴英幸さんが亡くなられました。

伴さんと初めて会ったときのことはもう覚えていないのですが、2007年に私が当時勤務していたNGOフォーラム平和・人権・環境(平和フォーラム)で、組織内の原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の担当になった頃だと思います。

原子力資料情報室と原水禁は連携して活動していたので、2014年に私が平和フォーラムを退職するまで、伴さんが身近にいらっしゃるのは当たり前のような感じでした。

退職後の私はささやかですが、一市民として原発問題にかかわる市民運動につかず離れずで参加してきました。そんなとき、いつも温和で博識な伴さんは私や多くの市民運動家にとって理論的、精神的支柱でした。

昨年12月、私がぎっくり腰を患ったとき、伴さんがSNSを通じて「阿部さん、僕もいま腰が悪くてね~」と連絡をくださいました。今になってみれば実はそのとき、ガンがもう伴さんの体を蝕んでいたのです。

不動産業者として療養先探しをお手伝いしたのですが、病気の進行が早く、ご入居はかないませんでした。だけど間取り図を見ながら、いろいろ思いを巡らせる時間はとても楽しかったと言っていただき、うれしく思いました。

お見舞いにうかがったとき、伴さんは「阿部さん、最期に変なことに巻き込んでごめんね」「いろいろ残していくけど後はよろしくね」などとおっしゃいました。そのときはベッドにおられる以外、いつものやさしい伴さんだったのであまり現実感はありませんでしたが。

お通夜のあった6月15日は奇しくも、私が18年前に故郷の山口県から上京した日。「ありがとうございました。お疲れさまでした。またお会いしましょう。」とお伝えしてきました。

実は私、2月頃に「文系ビジネスパーソン」に向けた原発を考えるパワポというものを作ったのですが、公開する前に伴さんに内容のチェックをお願いできないかなぁと考えていた矢先のことで、結局それはかないませんでした。

「思いを引き継ぎます」などとは、気安く言えないほど大きな存在でした。私は伴さんを忘れません。

◆東京新聞の追悼記事

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です